昨年末、悪魔嫁は、
「ハイフェッツが好きだけれど、
流すのはほとんど1人のとき限定」
という記事を以下に投稿させて頂きました。
その理由は、
相手も同じ曲を聴きたい気分とは限らないから
でございます。
これは、私が1人で過ごすのを好む理由とほぼ同義です。
ものすごく当然の事なのですけれど。
いま見たい映像。
いま味わいたい物。
いま聴きたい音楽。
いま嗅ぎたい香り。
いま触れたい感触。
どんなに趣味嗜好が合う相手であっても、
365日24時間、まったく同じ感覚・気分で居られるわけがございません。
誰かと過ごすという事は、厳密には、
私か相手か、どちらかが一方に、
何かしら合わせる事になるのが普通です。
(お互い相手に合わせるからこそ、新たな発見があったり、
自分にない視野が広がったりするのだとも思いますが)
私は、その物事にもよりますが、
たいていの場合、
自分が相手に合わせる以上に、
「相手に合わせて貰っている」
と感じるのが億劫なのでございます。
「自由じゃない」と思ってしまいます。
音楽もそうです。
たとえば、天使夫が実はJ-POPを聴きたいと思って居るのに、
悪魔嫁に合わせてクラシックを(聴きたくも無いのに)聴く。
それくらいであれば、クラシックは1人の時に聴き、
常はJ-POPで良いのです。
もちろん、天使夫はいくらでも悪魔嫁に合わせてくれます。
それは分かっているのですが、
同じ空間に居る相手には、できるだけ自由で居て欲しいもの。
悪魔嫁はと申しますと、
いちいち自分の好みを主張したり、
相手に合わせて貰うのが面倒ですので、
1人の時に完全な自由を得るわけでございます
(中途半端な自由なんて求めてません)。
これは友人にも適用される為、
悪魔嫁は、友人には多少傍若無人で居て貰える方が、
かえって気が楽だったり致します。
要は、できる限り自分の好きなように、
気ままに過ごして貰える方が、
私の気が重くならないのです。
「確かに悪魔嫁と一緒に居るのだけれど、
まるで1人で過ごしているみたい」
↑こういう感覚で居て貰える方が、
往々にして悪魔嫁にとって快適です。
もちろん、まだお付き合いが浅い内は、
「何が食べたい?」
などの質問に答えたりはしますが。
他方、365日24時間、
100%気が合う人物がこの世には存在致します。
それは、自分自身です。
私ほど、私と気が合う者は居りません。
ですから、そんな自分と完全な自由を満喫できる、
1人の時間が好きなのです。
誰に合わせる事も、合わせて貰う事もございません。
えっ?
悪魔嫁が快適に過ごせるよう、
微に入り細を穿つような気の利かせ方で、
天使夫が奔走するのは気にならないのか、ですか?
それは気になりませんよ。
彼の心からの自由意志で行っている事ですから。