ユキコ道基準の「溺愛」

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「本当に溺愛されていれば、質問など出てこない」
ユキコ先生は、
繰り返しこう仰っています。
そして、
「これって溺愛ですか?」
そんな質問、出てくる時点で溺愛ではない、
とも仰ってますね。
ユキコ道基準の溺愛には、
様々なチェックポイントがあり、
世間一般的な「大事にされている」程度では、
溺愛とは言わないとされている事からも、
「これは溺愛なのか?」
と訊きたくなるお気持ち、正直分かります。
また、ユキコ先生は、
「溺愛とはどんなものなのかは、
 実際に溺愛されるまで、本当には分からない」
とも仰っています。
これ、人によっては曖昧に感じられるかもしれませんが、
まさしく事実だと思います。

なぜかと申しますと、
もちろん溺愛の最低限の基準はあるのですが、
どの程度で溺愛と感じるかは、人それぞれ異なるからです。
ユキコ道チェックリストで溺愛の合格ラインに達していても、
悪魔嫁的には満足しない愛され方もあり得ます。
それは既に「溺愛ではない」事になりますね。
※悪魔嫁の場合、最終的に、ユキコ道で溺愛されるだけでは飽き足らず、
 ユキコ道を失敗しても、変わらず溺愛してくれる相手を選んだほどですから。
 (「私のユキコ道実践記」参照)
逆に、私が満足しないレベルでも、
人によっては「溺愛されている!」と感じる可能性も、
十分にございます。
自分を無理に納得させようとしないで、
自分を誤魔化さないで、
自分を一切欺かないで、
心の底から本音で相手の愛情に満足できる状態。
それが「溺愛」だと、私は思います。
ですから、
なんとか「自分は溺愛されている」と、
思い込みたいレベルでは、
溺愛とは言えませんよね。
溺愛されていると「信じたい」。
「もうこのくらいで溺愛されてるって事にして良いよね?
 不満がゼロではないけれど、
 でも今以上に満足させてくれる相手をまたイチから探すのは怖い…」
「私は溺愛されてるはず…そう思いたい…」
心のどこかで、そんな隙間風が吹いているから、
人に「それは溺愛です」と言って貰って、
安心したいのです。

私はチェックリストで溺愛基準に達していても、
それでも満足できずに居た頃がございます。
でも、天使夫と結婚してからは、
いちいちこれが溺愛かなんて、
誰かに教えて貰えなくても構わなくなりました。
溺愛かどうか、
人に判断して貰う必要なんて無い。
溺愛されているかどうかは、
私自身が1番良く知っているからです。
ちなみに、ユキコ先生の著書は、
以前5万円程度で購入した事がございますが、
親友にあげてしまいました。
ですので、チェックリストはもう、
悪魔嫁の手元にはございません。
「チェックリストは必ずしも必要ではない」
ユキコ先生のこのお言葉の意味も、
今ならよく分かります。

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